チームを立ち上げた経緯と代表者の思い

私は自転車競技を生活の中心として競技活動をして、本場ヨーロッパのプロ選手を目指していた時期がありました。 その夢を諦めた直後からしばらくの間、自転車競技はもとより、自転車そのものから逃げていました。 そんなおりにあるきっかけを境にして、また自転車に乗る機会がありました。 懐かしい矢作川沿いの道を走ると、以前よりもずっと増えたサイクリストの数に嬉しくなったのを今も覚えています。 矢作川では高校生の頃にお世話になった杉浦さんとの再会!その紹介で週末だけ一緒に走る仲間ができ(福岡さんや小澤さん)、お陰様で自転車の楽しさを改めて思い出しました。 聞くと実業団に登録してレースに出ているとの事。みんなと週末だけ走るようになって、しばらくして自分の気持ちが自転車に対して少し変化していることに気がつきました。

もしかしたら自分の経験してきた事を僕が関わった人たちにだけでも伝えることが、今の自分を作り上げてくれた自転車競技に対する恩返しになるんじゃないかと思うようになり、競技を頑張る人たちを応援する為のチームを作って活動するに至りました。 仕事で大変なとき、私生活でしんどいとき、いつも思い返すのは競技生活中の極貧で、苦しい思い出ばかりのあの頃の自分との比較でした。 「あの頃に比べれば大した事ない。」 これが自分を奮い立たせる合い言葉でした。 いろいろな事を経験して乗り越える精神力を養い、今の自分を育ててくれた競技にお返しする事を何かやりたい。

逃げている場合じゃない。

だからAACAを立ち上げることに躊躇はありませんでした。 東海地域には数少ない、本気で強くなりたい人たちをサポートできるチームを作りたかった。その切磋琢磨する環境で若い選手が成長し、将来的に日本の自転車競技をリードするような選手を輩出する手助けができたらどんなに楽しいだろうと。 今のチームのもとであるAACAは、そこに共感して下さった方々がスタッフさんとして関わって下さっているチームです。

そしてみんなと久しぶりにレースに出てみたら。。。 その昔に私が競技生活を送っていた時とあまり変わらない日本のレース現場にショックを覚えました。2012年のことです。

その年末、株式会社キナン角口会長とお会いする機会を杉浦さんに作って頂き、私のチーム運営に対する思いを会長にお話ししました。キナンチームの人数が年々減少し、寂しく思われていた会長と一緒にやっていこうと決まり、KINAN AACAができました。

皆どうしたら強くなれるか?どうしたらレースで成績が出せるか? 私の経験から選手を成長させるのはやはり実践経験を積み上げるのが一番。 練習でどんなに強くてもレースでは成績を出せない選手をたくさん見てきたからです。 でも日本のレースのほとんどは、ヨーロッパで行われているものとはほど遠いものばかりで、しかも遠方のレースばかり。 若い選手たちはお金がない。レース経験を積みたくても遠方のレースに交通費、宿泊費をかけて簡単に行くことができない。 じゃあ、近場で質の高いレースを作ってしまおう!で始まったのが長良川でのレース運営です。2013年の終わり頃のことでした。

2013年は当時、所属してくれていた若い選手にプロと走る経験を積んで欲しかったので、KINAN AACAとしてツールド熊野UCIにも参戦しました。 KINAN AACAというチームはキナン社の皆様に合宿など、選手の皆さんの見えない様々なところでたくさん協力して頂いています。それもこれも強くなりたい人たちを応援したいという熱い思いから。 そんなキナンに関わって下さるたくさんの方々の為にもツールド熊野で活躍する必要があることから熊野で勝てる本気のプロチームを立ち上げるに至ります。 プロチームがあれば、KINAN AACAで成績を残せばプロチームに上がれるかもと考える若者が入りたいと思ってくれるかもしれない。 上にプロチームがあれば、プロのお下がりの機材をお金がない若者に使ってもらうこともできる。 いろんな意味で若い選手のサポートができる幅が広がるだろうと出来あがったのがKINAN Cycling Teamです。

今、私達は自転車競技をもっとメジャーにして若者が憧れる競技にするというチームを立ち上げた当初から比べると、さらにステップアップした目標に向かって取り組んでいる最中です。 メジャーでなければ、自転車業界以外のスポンサーが付かない。 スポンサーが付かなければ、プロ選手の給料は安いままで、いつまでたっても子供たちに夢を見せられない。 それでは若者が自転車競技界に増えて来ない。 この悪循環を断ち切る動きを自転車に関わる全ての人が出来たら。。。 少なくとも、私のまわりだけでも。。。

こんな思いの詰まったチームです。 ぜひ、一緒にチームの取り組み全体を応援、そして協力して頂けたら幸いです。

代表 加藤康則